なんかイラつくなと思うこと
スピ系のメルマガ、最近やたらとアフターコロナがどーのこーの、地震がどーのこーのと不安を煽って、結局は自分のオンライン講座やら鑑定やらの宣伝が多い。
好きだったブロガーさんが急に嫌になったりしてきた。
10万円給付金を使えと言わんばかりの量。
おかげで自分が何にお金使いたいか、どんな未来を希望してるのかがわかりました^ - ^
ありがとう。
あなたたちのいう未来、私は望んでいません。
私は私が「あーよかった♫」って思える未来に行きます。
ネット記事でも不安を感じるタイトルには要注意。
あてつけの鏡
私がやってほしくない、それやられるの絶対嫌!って事をやってくる人がいる。
本人には自覚がない。
というか、私にも親切に接してくれる。
応援してくれてもいる。
まさにこの人は、私の心の恋愛やら、男性に対する不快感、不信感の古傷を突きまくる鏡なんだなって思った。
わかった。それがあなたの魂が引き受けた役割なんだ。
自分が徹底的に映し出すから、古傷を吐き出し、癒してほしいと。
ある日、苦しみは突然終わった。めっちゃ怒って泣いた。
しかし、受け入れ、吐き出し、一晩寝ればスッキリするくらい爽快に。
今でも少し痛む事はあるけど、前ほどではない。
ありがとう。あなたはまだ憎たらしいって思う事完全に消えてはいないけど、この感情引き受けてくれたあなたの魂のことは愛してる。
塔のカードちょっと前に出てたってこの事だったのか。星と並んで出たのよね。
仲良し家族の投稿
FBで夫婦仲良し、一家仲良しの投稿見ると羨ましいと思うと同時に嫉ましく思う私がいる。
自分の感情に正直でいいって、自分に許可出したから認めてあげる。
そう感じるなら、今はそれでもいいんやで。
アピってるだけかもしれんし。
真実はわからない。
うちもそれなりにはうまくやってるけど、FBで仲良しアピールしようとは思わないなあ。
一家仲良し投稿で、私の妬みの矛先は「娘」さん。息子さんには特に何も感じない。
両親にめいいっぱいの愛情注がれてる彼女が羨ましい。ただそれだけなんだ。
自分が得られなかったものを持ってる彼女が羨ましい。ただそれだけなんだ。
AEDの体験で過去を思い出す
今日は月一の通院日。
今月は検査も盛り沢山😞
玄関でAED体験イベントやってたので体験させてもらいました。
興味本位でやったわけではないです。
35年前のあの日に向き合わなければいけないのかなと思ったからでした。
35年前、私は中1でした。
12月7日の23時半くらい。51歳で父が心筋梗塞の発作をおこしました。
幸いな事に、母は看護師でしたので、心臓マッサージをして、私が救急車を呼び、サイレンの音がするのにいっこうに来ない、道に迷って行き止まりの道でハマってる救急車を呼びにいきました。
たぶん、隊員さんらがきた時点でもう旅立ってたようです。救急車はサイレン鳴らさず近くの二次救急の病院に向かったので。
あまりに突然な事だったので、この後もお葬式の日も泣いた記憶がありません。
ただわたしには父親がいないんだ、くらいしかこの年まで思っていませんでした。
父と旦那は誕生日が同じです。そして、今父が亡くなった年の51歳。
虫の予感的な、この日を迎えるのがこわいと、ここ半年くらい思っていました。
幸い、旦那には何も起こりませんでしたが、翌日に私が骨折捻挫で入院という事態になりました。
休職中ひたすら自分の心の洗い出し作業すると、自分の生きづらさの原因は、やはり父のことが相当潜在意識に引っかかってることがわかりました。
あの日、私は寝ていて夢うつつの中、階下で私を呼んでる母の声をどれぐらいの間無視してたんだろう?私がもっと早く目を覚ましていれば父は助かってたのかもしれない?とか無意識に自分を罰してたのかな?
自分でカード占いしてても、父親をにおわすカードも出てたし。
結局自分で出した答えは、もう自分を許してあげていいよという答えでした。
はじめて人形で心臓マッサージを経験しました。
すごく力強く押さなきゃ人形のカチカチという音が出ませんでした。
「こんなに押したら肋骨折れるんじゃないですか?」って聞いたら、
「折れます!折れても心臓を動かし続けることが大事なんです」と答えが帰ってきました。
母は一体どれだけ押し続けてたんだろう?
ほんの1-2分くらいの時間だったのにすごく大変な作業なんだなって実感しました。
あらかたAEDの使用法はわかりましたが、いざその現場に居合わせたら私うまく対応できるのかな?
ちょっと複雑な気分です。
長文おつきあいただき、ありがとうございました。
入院するはめになった心の奥の原因を探る③
こんにちは。
あっという間に大晦日。
足の怪我もあり、たいした年末イベントもしてませんし、お正月も家でひっそりと迎えることになります。
実家がどうとか、初詣とか、そういう行事に縛られずゆっくり過ごせるんだなと、ちょっとホッとしていたりします。
で、何故あの病院だったか?昨日の朝急に思いついたので、このシリーズのブログをupしたのでありました。
私は自分の実家も、夫の実家も苦手というか、行きたくないんです。
汚いし、臭うし。。自分勝手のワガママ老人だし。
で、自分が綺麗にされた家に住んでるかといえば、そうでもないです。やっぱり汚いごちゃっとした家です(汗)
猫もいるし、トイレの砂が散らばってるし、臭うし、毛が長い猫でウンチお尻にくっつけたまま歩いて部屋のどこかに落ちてたり、猫草食べて毛玉吐くのでゲロがあって、カーペットも変色してるし。
つまり、汚いから臭いから行きたくないというのもまあありますが、「同族嫌悪」なんです。
自分も汚いとこで生活してるのに、実家は汚い臭い、私がいる場所じゃないとか言って、汚い自分、だらしない自分、自分勝手のワガママな自分がいることを嫌って、無視して、見ないフリしてたんです。
だから、実家を更にパワーアップさせたような、あんな野戦病院のような所に入院して、義父や母を何倍にもしたような人たちの環境で生活するはめになったわけです。
ただ、ここで陥りがちなのが、「あぁ、私とこの人らは同族なんだ、私は汚い人間だー」と自分を責めるのではなく、
「そっか、これ私が見て見ぬふりしてた私の鏡だ。そんな自分を受け入れよう」と、だらしない私を受け入れました。認めました。
ちょっと気が楽になりました。ちょっと感謝する心もあらわれました。まだ嫌いには変わりないけど、全否定する感じが消えつつあります。
という事で、自分の心の鏡が、私にもこういう一面あるよ、気付いて認めてあげて、というサインなんだなって事だったというわけです。
あと、暗い洗い出し作業でしたが、いいことも見つかりました。
仲良くしてくれてる音楽仲間に、メッセージやフェイスブックで怪我の報告したわけですが、思った以上にコメントがついて、コメ返しの作業やメッセージのやりとりが大変でした。
自分なんてたいした存在じゃないと思ってたけど、自分が思ってた以上の人にお気遣いいただいて、大事にされてたんだって感謝と嬉しさで一杯でした。
同室のお婆ちゃんたちは見舞い客ほぼいないのにたいして、私のところはたくさんじゃないけど2日にいっぺんは、旦那も含めて誰かが来てくれるし、差し入れもある。早く戻っておいでと待ってくれてる人たちがいる。
改めて、私は大事にされてるな、愛されてるなと、宇宙さんの手荒いプレゼントを受け取ったのでありました。
ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
入院するはめになった心の奥の原因を探る②
前回の続き
自己肯定感低い、罪悪感、無価値感、劣等感まみれの私が自己改革に乗り出したことへの「ホメオスタシス」も一つの要因。
そして、母の「お母さんがこんなにびっこひきひき、虫歯で歯も痛い上であんたのために働いてるのに、あんたは勉強もせず遊んでばっかりの親不孝」
なんて言葉のおかげで、わたしは「幸せになってはいけない、楽しむことに罪悪感を感じる」人間になりました。
12月に入って、普段一緒することのない雲の上の人たちと同じステージに立つことができ、
旅行に行って、オフシーズンの宿で、予約した部屋より1ランク上の部屋をサービスで使わせてもらうことができ、広いお風呂に誰もおらず、貸し切りの様な気分を感じさせてもらい、
夕食は美味しいすき焼きを味わい、
翌日は滝の美しさに癒され、これからも楽しい12月が過ごせる〜🎶と思った矢先の怪我でした。
滝の山道の石段から転がり落ちたように、幸せの絶頂から転がり落ちました。
「幸せを感じる罪悪感」が発動したようでした。
そして、旅行先から予定変更して地元に戻り、休日診療してもらえる病院を紹介してもらい入院したのが、狭い部屋に無理やり8つもベッドを置いてある野戦病院さながらの病院。
後日周りの人からは「あの病院はアカンわー」と言われまくり、評判も悪い、求人口コミも悪い、グレーな経営をしているとか色々聞きました。
私も居心地悪いと思い、転院を行きつけの病院にと、持病を理由に、職場の人の入れ知恵を使って試みた(笑)のですが、手術を必要としない症状では受け入れられないと断られてしまいました。
スタッフの人たちもキツい物言いする人ばかり。同室のお婆ちゃんたちは結構キツく当られてました。しかし、私は自分を大事にする事を心がけてたのが幸いだったのか、キツく当られる事はありませんでした。
でも、他人がそういう扱いをうけてるのも見てるのがストレスで、血圧が上がり、胃も痛くなってきたので早め退院して自宅療養となりました。
仕事も音楽活動もまだ復帰できないので、自分と向き合う事、ピアノや歌の練習、カードリーディング の毎日です。
色々かなり洗い出せたと思います。
この先ボチボチと語っていくことになると思います。
次回は、この病院だった理由を分析したいと思います。
ありがとうございました。
入院するはめになった心の奥の原因を探る①
こんにちは。
今年はいいも悪いも濃い一年でした。
ピアノ弾き語りにおいては、自分の立ち位置が変わってきたというか、共演してくれる方が、雲の上のお方のような方々と一緒になったり、繋がっていただいたり、ピアノサポートとしてもユニット活動したり、オファーいただけるようになったり、ほんの少しでも私の音楽を聞きに来てくれた方がいてチャージバックいただいたり。
結構順調だったのですが、私の中の「ホメオスタシス」がストップかけたのか?12月の音楽や、忘年会等の楽しみな予定は、両足の捻挫&骨折でパーになってしまいました。
退院はしましたが、自宅で療養続けています。
この時間を活かして、色々考えていました。
一つは上記のとおり、ホメオスタシスでしょう。
音楽活動が充実してくると、半年に一度くらい、旦那に制限されるようなことを言われたり、風邪引いて咳喘息になったりと、1か月ほどストップかかる現象が起こります。
だんなの小言は、私が就職してから解決しました。
2019年は、3-4月あたりに来るだろうと予想されてたこれらの現象が起こらず、無事乗り切れたかと思った矢先12月に入院ということになりました。
私は中1の時、父が急死し、看護師してた母と二人暮らしでした。
両親39才の時生まれた子だったので、戦争時代を経験してたという、同級生の子たちとは違う価値観で育てられました。
当然周りから浮いた子でした。いじめられっ子だったし、親に言っても「みんな仲良くせなあかん」と、何故か私が怒られる始末でした。
とにかく「〜せなあかん」「〜したらあかん」的な禁止教育で、祖父母もそんな人でした。
父が旅立った後も、母は「お母さんがこんなに苦労してるのに、あんたは何もしない、できない、グズだ、なんだかんだ」と、ネガティブな言葉ばかり吐き捨ててきました。
親戚のところに遊びに行っても、「あんたはお客じゃないから」と、いとこたちと遊ぶ事は許されず、親戚の手伝いをする様に言われました。
おばは、そんな事しなくてもいいから遊んでおいでと言ってくれるのですが(単によその子に台所いじられて、お皿割られたらたまらんと思ってたんだろうけど)、
母は「この子のためなのでやらせてください」と聞く耳持たず。
私が思春期になると、母は私が楽しむ事、友達の事でもうるさく言ってきました。
「あの子はろくでもない家の子だから付き合うなとか、勉強できるあの子にしなさい」とか。
「お母さんが必死になって働いてるのに、あんたは遊んでばかりいないで勉強や手伝いしなさい」とか。
「◯◯さんとこの子は、あんたより年下なのに、お手伝いして、勉強もできてなんちゃらかんちゃら」←その子に会ったこともない、その子の親が捏造して自慢してただけかもしれない。
おかげさまで、とても自己肯定感の低い、無価値感、罪悪感、劣等感まみれのアダルトチルドレンの出来上がりです。
そんな私が、40代半ばにして、自愛し、自己肯定感をあげようとし、自分改革に乗り出したわけですから、私の心の奥は大混乱なわけです。
必死で元の私に戻そうとするわけです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回はさらに深く掘り進めて行こうと思います。