自分と向き合ってみる

「今、ここ、私」、自分軸で生きるの実践中。

入院するはめになった心の奥の原因を探る③

こんにちは。

 

あっという間に大晦日

足の怪我もあり、たいした年末イベントもしてませんし、お正月も家でひっそりと迎えることになります。

 

実家がどうとか、初詣とか、そういう行事に縛られずゆっくり過ごせるんだなと、ちょっとホッとしていたりします。

 

 

で、何故あの病院だったか?昨日の朝急に思いついたので、このシリーズのブログをupしたのでありました。

 

私は自分の実家も、夫の実家も苦手というか、行きたくないんです。

汚いし、臭うし。。自分勝手のワガママ老人だし。

で、自分が綺麗にされた家に住んでるかといえば、そうでもないです。やっぱり汚いごちゃっとした家です(汗)

猫もいるし、トイレの砂が散らばってるし、臭うし、毛が長い猫でウンチお尻にくっつけたまま歩いて部屋のどこかに落ちてたり、猫草食べて毛玉吐くのでゲロがあって、カーペットも変色してるし。

 

つまり、汚いから臭いから行きたくないというのもまあありますが、「同族嫌悪」なんです。

 

自分も汚いとこで生活してるのに、実家は汚い臭い、私がいる場所じゃないとか言って、汚い自分、だらしない自分、自分勝手のワガママな自分がいることを嫌って、無視して、見ないフリしてたんです。

 

だから、実家を更にパワーアップさせたような、あんな野戦病院のような所に入院して、義父や母を何倍にもしたような人たちの環境で生活するはめになったわけです。

 

ただ、ここで陥りがちなのが、「あぁ、私とこの人らは同族なんだ、私は汚い人間だー」と自分を責めるのではなく、

「そっか、これ私が見て見ぬふりしてた私の鏡だ。そんな自分を受け入れよう」と、だらしない私を受け入れました。認めました。

 

ちょっと気が楽になりました。ちょっと感謝する心もあらわれました。まだ嫌いには変わりないけど、全否定する感じが消えつつあります。

 

 

という事で、自分の心の鏡が、私にもこういう一面あるよ、気付いて認めてあげて、というサインなんだなって事だったというわけです。

 

 

あと、暗い洗い出し作業でしたが、いいことも見つかりました。

 

仲良くしてくれてる音楽仲間に、メッセージやフェイスブックで怪我の報告したわけですが、思った以上にコメントがついて、コメ返しの作業やメッセージのやりとりが大変でした。

 

自分なんてたいした存在じゃないと思ってたけど、自分が思ってた以上の人にお気遣いいただいて、大事にされてたんだって感謝と嬉しさで一杯でした。

 

同室のお婆ちゃんたちは見舞い客ほぼいないのにたいして、私のところはたくさんじゃないけど2日にいっぺんは、旦那も含めて誰かが来てくれるし、差し入れもある。早く戻っておいでと待ってくれてる人たちがいる。

改めて、私は大事にされてるな、愛されてるなと、宇宙さんの手荒いプレゼントを受け取ったのでありました。

 

ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。