入院するはめになった心の奥の原因を探る①
こんにちは。
今年はいいも悪いも濃い一年でした。
ピアノ弾き語りにおいては、自分の立ち位置が変わってきたというか、共演してくれる方が、雲の上のお方のような方々と一緒になったり、繋がっていただいたり、ピアノサポートとしてもユニット活動したり、オファーいただけるようになったり、ほんの少しでも私の音楽を聞きに来てくれた方がいてチャージバックいただいたり。
結構順調だったのですが、私の中の「ホメオスタシス」がストップかけたのか?12月の音楽や、忘年会等の楽しみな予定は、両足の捻挫&骨折でパーになってしまいました。
退院はしましたが、自宅で療養続けています。
この時間を活かして、色々考えていました。
一つは上記のとおり、ホメオスタシスでしょう。
音楽活動が充実してくると、半年に一度くらい、旦那に制限されるようなことを言われたり、風邪引いて咳喘息になったりと、1か月ほどストップかかる現象が起こります。
だんなの小言は、私が就職してから解決しました。
2019年は、3-4月あたりに来るだろうと予想されてたこれらの現象が起こらず、無事乗り切れたかと思った矢先12月に入院ということになりました。
私は中1の時、父が急死し、看護師してた母と二人暮らしでした。
両親39才の時生まれた子だったので、戦争時代を経験してたという、同級生の子たちとは違う価値観で育てられました。
当然周りから浮いた子でした。いじめられっ子だったし、親に言っても「みんな仲良くせなあかん」と、何故か私が怒られる始末でした。
とにかく「〜せなあかん」「〜したらあかん」的な禁止教育で、祖父母もそんな人でした。
父が旅立った後も、母は「お母さんがこんなに苦労してるのに、あんたは何もしない、できない、グズだ、なんだかんだ」と、ネガティブな言葉ばかり吐き捨ててきました。
親戚のところに遊びに行っても、「あんたはお客じゃないから」と、いとこたちと遊ぶ事は許されず、親戚の手伝いをする様に言われました。
おばは、そんな事しなくてもいいから遊んでおいでと言ってくれるのですが(単によその子に台所いじられて、お皿割られたらたまらんと思ってたんだろうけど)、
母は「この子のためなのでやらせてください」と聞く耳持たず。
私が思春期になると、母は私が楽しむ事、友達の事でもうるさく言ってきました。
「あの子はろくでもない家の子だから付き合うなとか、勉強できるあの子にしなさい」とか。
「お母さんが必死になって働いてるのに、あんたは遊んでばかりいないで勉強や手伝いしなさい」とか。
「◯◯さんとこの子は、あんたより年下なのに、お手伝いして、勉強もできてなんちゃらかんちゃら」←その子に会ったこともない、その子の親が捏造して自慢してただけかもしれない。
おかげさまで、とても自己肯定感の低い、無価値感、罪悪感、劣等感まみれのアダルトチルドレンの出来上がりです。
そんな私が、40代半ばにして、自愛し、自己肯定感をあげようとし、自分改革に乗り出したわけですから、私の心の奥は大混乱なわけです。
必死で元の私に戻そうとするわけです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回はさらに深く掘り進めて行こうと思います。